対人・対自分関係とほんもの・にせもの分析

対人・対自分関係

 性格分析の第一段階であるABCDEの表面的な特徴は、性格の10タイプとグラフの読み方のところで説明いたしましたので、ここでは、人に対する関係と自分に対する関係について見ていきます。

 まず、A(きびしい親)とB(優しい親)に注目します。

 A(きびしい親)の高い人は、相手の欠点から目に入ります。だから、どうしても「相手が間違っている」ということになります。

 B(優しい親)の高い人は、相手の長所から目に入ります。だから、「あなたは正しい」ということになります。

 この関係から、A(きびしい親)がB(優しい親)よりも高ければ、「あなたが間違っている」という意識で生きています。B(優しい親)がA(きびしい親)よりも高ければ、「あなたが正しい」という意識で生きていることになります。これが対人関係に対する態度です。

 次は、自分に対する態度です。

 D(自由気ままな子供)とE(人の評価を気にする子供)に注目します。

 D(自由気ままな子供)の高い人は、「わたしは正しい」ということになります。自分が正しいと思っているから自由な行動ができるのです。

 一方、E(人の評価を気にする子供)の高い人は、「わたしは間違っている」です。

 この関係から、D(自由気ままな子供)がE(人の評価を気にする子供)より高い人は、「わたしは正しい」という意識を持って生きています。E(人の評価を気にする子供)がD(自由気ままな子供)より高い人は、「わたしは間違っている」という意識で生きていることになります。

 以上から、4つの態度が生まれます。「あなたも正しいし、わたしも正しい」、「あなたは正しいが、わたしは間違っている」、「あなたは間違っている、しかしわたしは正しい」、「あなたも間違っているし、わたしも間違っている」です。   


ほんもの・にせもの分析

 この分析が必要になるのは、たとえばA(きびしい親)を見ると、「なるほどと思える厳しさもあれば、どうも揚げ足を取っているだけのような厳しさ、自分のうっぷんを晴らしているだけのような厳しさ」もあります。

 B(優しい親)についても、「本当に相手のことを考えてしている優しさもあれば、自分の損得でしているような優しさ、押しつけ、おせっかいのような優しさ」もあります。

 それから合理的といっても、たとえば泥棒さんは非合理的かと考えると、ある面では大変合理的です。夜中に人の居ない所へ入る、巧みに錠を開ける、そういう面では合理的だが、捕まったら元もこもないという面からは、全然合理的ではありません。

 このように、A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)にはなるほど、(ほんもの)と思えるものもあれば、(にせもの)も混じっています。この(ほんもの)と(にせもの)を見抜いていくことにより、より本当の自分を知ろうというのが(ほんもの・にせもの分析)なのです。

 A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)、D(自由気ままな子供)、E(人の評価を気にする子供)は、生きている充実感があるときには、(ほんもの)ですが、充実感がなくなると(にせもの)になります。

 A(きびしい親)の本当の特徴は、『社会のルールを守る。無いときは、ルールを創る』という機能です。社会だけではなく、『自然のルールも守る。教える』という機能もあります。

 人間は、集団生活でしか生きていけない動物です。動物という面では、人間は最も弱い存在です。外敵から身を守り、衣食住を確保するためには集団生活が必要です。つまり、社会ということですが、この社会の基本は、「一人一人が自由であり平等でありたい」ということでしょう。

 そのためには、ルールが必要です。自分だけは自由でありたい、というのでは本当の社会は成り立ちません。また、社会のルールを教えてあげないと子供や部下は、社会のなかで衝突や葛藤を引き起こし適応できなくなります。

 さらに、「池に落ちれば溺れる。火に手を突っ込めば火傷をする」といったことから、健康に関する知識まで、自然のルールも必要です。

 一方、生きている充実感が無くなると、A(きびしい親)は攻撃性になります。自分のしたいことを妨げるものを倒そうとする。からかう。脅す。あるいは、自分を守るために攻撃する。揚げ足を取る。警戒する。そういう面がでてきます。

 B(優しい親)の本当の特徴は、『見返りを期待しない優しさ』です。ルールだけでは、社会はうまくいきません。思いやりや譲り合う心が必要です。

 代償を期待しない優しさ、そんな物が世の中にあるかと言われますと、ほとんど無いのですが、やはり本当の特徴は? と考えますと、見返りを期待しない優しさといういうことでしょう。「自由・平等と思いやり」、それらがそろって初めて、本当の社会が成立します。

 一方、充実感が失われると、B(優しい親)は自分の欲望を成功させるための親切や、自分を守るための親切になります。押しつけの親切やお節介になるということです。

 C(合理的な部分)の本当の特徴は、『ハッと我に返る。原点に戻る』機能です。

 感情や理屈にとらわれているところから、ハッと我に返る。なにが原点を顧みる機能と言ってもいいですね。

 一方、充実感が失われると、自分を正当化するための自己弁護や自分を無理に納得させる自己説得のための理屈になります。

 D(自由気ままな子供)は、『欲求充足本能』です。食べたい、遊びたい、眠りたい、言いたいことを言い、したいことをしたいという欲望を満たす本能です。

 このままでは本能ですが、生きている充実感があるときは、前進性になります。一方、充実感を失うと、「欲しいものが手に入らない、満たされない」という気持ちが強くなり、「不満さん」になります。

 E(人の評価を気にする子供)は『自己防衛本能』です。自分を守ろうとする本能です。E(人の評価を気にする子供)をこのように理解すると非常に分かり易くなると思います。人の目や人の評価をなぜ気にするのか、という理由もよく理解ます。

 生きている充実感があるときは、自己反省能力、内面の世界、人の不安を思いやれる能力ですが、充実感を失いますと、「自分を守れなくなる、どうしょう」という気持ちが強くなり、「不安さん」になります。


「不安さん」か「不満」さんか? 

 この不安と不満が(にせもの)現象の主役になります。

 まず第一に、自分が「不満」さんか、「不安さん」かを決めてください。嫌なことや困難なことが起きたときに、不安を感じる人は「不安さん」です。一方、不満を感じる人は「不満」さんです。さらに不安も不満も両方感じるという人は「不安と不満さん」です。この3つのタイプに分けられます。

 これの判別には、むしろ幼稚園や小学校など、小さいときのことを思い出していただくほうがよいでしょう。何十年も生きていますと、なかには、自分を作り替えている人もいます。正反対の性格になっている人もいます。だから、現在の自分がどう感じるかということよりも、幼い日の自分を思い出していただくほうが正確になります。


親からのメッセージを点検する

 次に、A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)の部分です。これらの部分は、生まれつきあるのではなくて、教育やいろいろな影響を受けて成長するものです。その影響は小さいときの方が強く残ります。

  一昔前は、たくさんの子供がいる家庭はも珍しくはありませんでした。親が、照れ隠しのつもりで、「この子は、要らない子だったのです」と人前でいうこともよくあることでした。大きくなって言われても、たいしたことではありませんが、幼いときには親以外に頼れる者はありません。たとえ冗談にせよ、そんなことを言われれば深刻です。

 いかに生きるべきか、どうすべきか、言葉で言われるだけではなく、親の毎日の行動や生き方から子供は、多くを学んで大きくなっていきます。もちろん、兄弟、友達、先生、書物などさまざまなものから影響を受け、A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)を発達させていくのですが、やはり最も大きな影響は親からのものでしょう。これを親からのメッセージと呼びます。

 自分がどのようなメッセージを受けているのかを点検する、これが第二にしていただくことです。

 A(きびしい親)の高い人では、どのようなメッセージが入っているでしょうか。「人を安易に信じてはいけません。だまされますよ」、これはお父さんがいい人で、人を信じたために倒産した。そのような出来事があれば、このような言葉が家庭の中でお母さんの口からいつも出ていた。それがメッセージとなった。そういうこともあるでしょう。

 「後ろ指を指されるようなことをしてはいけません」、学校の先生の家や旧家、あるいは伝統や権威を重んじる家で育てば、このようなメッセージが大人になっても、頭の中で生き続けることがあるかも知れません。

  「欲しいものがあれば、人を倒してでも手に入れなさい」、これは穏やかではありませんが、強い子に育てたいという思いのあまり、そのようなメッセージを与えてしまうこともあるでしょう。
 次は、B(優しい親)の高い人です。「一生懸命に人のために働きなさい。そうすれば、必ず報われますよ」、二宮尊徳症候群と呼んでいます。現在の若者には理解しがたいことかも知れませんが、団塊の世代以上の方では、よく聞いた言葉です。

  国が貧しい時代のときには、自分のことは後にして、社会のために働く人間を育てなければなりません。このように教育することが必要でもありました。だからその当時は、小学校に二宮尊徳の銅像が建てられているのが普通の光景でした。

 あるいは、「強くたくましくありなさい。そうすれば尊敬されますよ」、スーパーマン症候群と呼んでいます。たくましい父、しっかりした母、現在では流行りませんが、一昔前ではこういう言葉も聞き慣れた言葉でした。 

 さて、C(合理性)にはどのようなメッセージが入っているでしょうか。自己正当化です。自分が間違っているのに、いろいろと理屈をつけて、自分の非を認めようとしない。むしろ、自分の方が正しいのだと主張する。いわゆる屁理屈です。

  あるいは、自己説得というのもよくあります。自分の不幸や失敗をそのまま認めるのでは耐えられません。「人生長い目でみれば、プラスマイナスゼロだ」とか、「こうなる運命だったのだ」とか、理屈をつけて人を説得するのではなく、自分を説得する。納得しようとする。こういうこともよくあります。

 この他にも、たくさんのメッセージを受けているはずです。幼いときのことは忘れています。だから、じっくり思い出してください。すぐに思い出せなくても、「メッセージを点検するのだ」、という気持ちでいれば意外なときふっと思い出すことがあります。また、思い出したくない思い出もあります。努めて忘れようとしているうちに、ほとんど意識に上って来なくなっているものもあります。

  嫌なことを思い出すだけで、それから自由になる方法がなければ、だれも思い出したくはないでしょう。しかし、心配は無用です。この(ほんもの・にせもの分析)には、後章の解決法のところを読めば分かるように、自由自在になれる解決法が付いています。安心して、幼い日の再発見をしてください。
 自分が「不安さん」であるのか、「不満」さんであるのかが分かり、どのようなメッセージを幼い日に受けているかが点検できれば、自分の性格を形成している要素が理解できます。
 つまり、「不安さん」と「不満」さんをどのメッセージで解決しようとしているかで性格ができあがる、ということです。


 「不安さん」で、その解決に攻撃、警戒のメッセージを受けていれば、「バラバラさん」になります。「一生懸命に働くこと。親切にすること」というメッセージを受けていれば、「ボロぞうきんさん」になります。自己合理化や自己説得のメッセージであれば、「クールさん」になります。

 「不満」さんで、攻撃のメッセージであれば、「あんたが悪いさん」になり、「働くこと、親切にすること」であれば、「行け行けさん」になり、自己合理化や自己説得であれば、「クールさん」です。

 子供のままで、大人になれない人の場合は、「不安さん」であり、「不満」さんです。不安と不満の両方がある場合は、「子供ちゃん」です。

  ただこういうことをやる時には、注意点があります。まず一つはあまり真面目にやらないで欲しいということです。心の問題を扱う時は真面目にやり過ぎますと、かえってよくありません。「あなたは、これこれですよ」と、決めつけるのは最悪です。「こういうこともあるかもしれない」程度にしておきましょう。