◆伝統さん・若年寄りさん

(表面的な特徴)

  このタイプの方は、「行け行けさん」に似ていますが、「行け行けさん」はD(自由気ままな子供)が高かったが、「伝統さん」は低い点が違います。

  このパターンの方も、仕事はよくできます。A(きびしい親)が高いから部下を指導できる。B(優しい親)がさらに高いから部下がついてくる。C(合理性)が高いからいくつもの仕事を同時にこなせます。

 しかし、D(自由気ままな子供)もE(人の評価を気にする子供)も両方とも低いのです。子供の部分がなくて、社会性と合理性で生きていることになります。子供の部分は本音でもありますので、本音がなくて建前だけで生きているということにもなります。

  どういう方が多いかと言いますと、伝統や権威や規律を守らないといけない人です。事業を拡大するよりも現状を維持する方、あるいは事業は精力的に拡大するが、その内容は新しいもの、創造的なものよりも伝統の枠内、既成のものだという方です。

 あるいは、厳格な規律を人に教えなければならない方です。新しいことをするにはD(自由気ままな子供)がいります。創造的なことは苦手な方。そこでこのタイプを「伝統さん」と言います。また、若い方では、年寄りじみた言い方が多いので「若年寄さん」と言います。

  図のようにA(きびしい親)よりB(優しい親)が高いのは「優しい伝統さん」。B(優しい親)より A(きびしい親)のほうが高ければ「厳しい伝統さん」です。

  このパターンの方は、普段でも羽織、袴を着ているようで非常に重々しいですね。伝統や権威の固まりです。子供の部分はないから、冗談なんか言える雰囲気ではない。妙なことを言えば、何かこちらがすごく悪いことをした子供のような気持になってしまう。畏縮しそうです。床の間にどんと座っているに適した方です。

  しかし、守るものがなくなったらどうなるのでしょう。自分を伝統や権威や規律に同化することによって、不安や不満を消し、充実感や自分を生きているという実感を感じてきた人です。守るものがなくなれば、自分を生きているという実感もなくなります。自分が何者か分からなくなります。

  いつも仕事がうまく行くとは限りません。元気なうちはうまくいったとしても、病気になったり年老いたり、さらには死にまで適応したり同化することはできません。

  守るものが失われようとする時、それは自分が消失することですから、何としても手放したくない、何としてもしがみついていたい、ということで、強い執着が起こります。今まで隠れていたD(不満)とE(不安)が一挙に吹き出て、引き離そうとするものを攻撃したり、不安のなかでパニックに陥ることも起こるでしょう。

 抵抗むなしく引き離されてしまえば、後は生きがいを失い、も抜けの殻のような余生を送ることになるかもしれません。

  D(自由気ままな子供)とE(人の評価を気にする子供)は、人間にとって大切な部分ですので、極端に押えられていると、日頃からそれを洗練することも、トレーニングすることもできません。本音や自分を生きているという実感を失うということが起こります。


(対人・対自分関係)

  「優しい伝統さん」ですと、「あなたは正しい。私は?」、「厳しい伝統さん」では「あなたは間違っている。私は?」で、ともに「私」はないのです。D(自由気ままな子供)もE(人の評価を気にする子供)もないのですから、私はありません。


(自滅のシナリオ)

  「伝統さん」の性格はどのようにしてできあがるのでしょうか? 

  「伝統さん」では、D(自由気ままな子供)もE(人の評価を気にする子供)もありません。子供の部分が無いのですが、少し考えて見ると変ですね。赤ちゃんが紋付き羽織りで、生まれてくるはずはありません。子供のときは、誰であっても、D(欲望充足本能)とE(自己防衛本能)です。成長するに従って、C(合理性)が発達し、A(きびしい親)とB(優しい親)を学び、社会人として自立する。これが成長のプロセスです。

  だから、「伝統さん」も最初から「伝統さん」では無く、途中から「伝統さん」になったということです。仮面・縫いぐるみのひとつだと言っても良いのです。では、本当の素顔はどのようなものなのでしょうか?

  素顔を知るのに、まず「不満さん」であるのか「不安さん」であるのかを決めましょう。ただ、「伝統さん」は長らく子供の部分を押さえて生きていますので、不満も不安も、はっきりとは感じなくなっています。不満や不安を感じたくないので「伝統さん」になったのですから当然のことです。

  だから、このタイプの人の分析を行うには、小さいときのことを思い出していただくなくてはなりません。繰り返し、思い返して下さい。多くの方を見ていますと、「不安さん」から「伝統さん」になったという方が多いようです。

  この不安を解決するために、強いもの、強力なもの、安心できるもの、長く続いて権威のあるものなどと一体化する。B(優しい親)に入っている「一生懸命に尽くしなさい。そうすれば必ず報われますよ」というメッセージと(不安)が結合します(優しいタイプの伝統さん)。そうすれば、不安が消えるからです。

  「きびしいタイプの伝統さん」では、A(きびしい親)に入っている「正しいことを守らしなさい。そうすれば尊敬されますよ」というメッセージと(不安)が結合しているかもしれません。会社のため、社会のため、国のため、イデオロギーのため、学問のため、権威のため、伝統芸術のため、家のため、上げていけばいろいろあるでしょう。

  一体化できるものと出会わなかった場合や「伝統さん」が良いのだという教育や見本をもたなかった場合、また一体化できるものにであっても完全に一体化に成功しなかった場合は、「伝統さん」にはなれません。「ボロぞうきんさん」、「バラバラさん」、「不安さん」のように不安が生々しく感じられるパターンのままでしょう。

  だから、守るべきものがなくなるときは、「不安」が噴き出てきます。長い年月の間には、自分が「不安さん」であったことなど、忘れています。今まで、見たくないものとして、抑圧してきただけに、不安を見慣れていません。今まで同化して来たものを手放すまいとして、最も抵抗するのもこのパターンであることは容易に理解できるでしょう。そして、戦い敗れた後は、せみのぬけがらのようになってしまうことも納得できることでしょう。

  勿論、「不満さん」が「伝統さん」になることもあります。D(自由気ままな子供)を押さえるのですから、厳しい教育環境のもとにあったのでしょう。あるいは、小さいときから親の代わりを努めなければならない立場にあっのかもしれません。「強くたくましくありなさい、そうすれば尊敬されますよ」というメッセージが強く働いていると思われます。

  あるいは、「行け行けさん」が「伝統さん」になることもあります。「行け行けさん」では、会社が空中分解してしまいます。ある程度規模が大きくなれば、維持の部分が大きくなります。今まで、「行け行けさん」でやってきた人も、会社を安定させるために、D(自由気ままな子供)を押さえて「伝統さん」に変わることを選ぶということもあるでしょう。その場合、会社は安定しますが、自分のDは満足できなくなるので、毎晩お酒がいるかもしれません。


(充実感テストとの関係)

  「伝統さん」は、安定期には非常に良く社会適応しています。「ボロぞうきんさん」の不安はうまくいっているときでも、明らかですが、「伝統さん」は強いものと一体化するのですから不安も消えます。だから、爽やか指数は必ずしも低くはありません。しかし、楽しんで仕事をしている「行け行けさん」の高さにはとうてい及びません。さらに、自分を抑えているので、不快指数は高めでしょう。

  やがて、仕事の量や規模が大きくなると、疲れを感じるようになります。年もとってくると疲れは加速して来ます。それでも、がまんをして頑張るというのがこのタイプの方の解決方法ですから、自滅のシナリオが動き始め、爽やか指数が低下して来て、不快指数が高くなります。

 そして、定年や引退、子供達の巣立ちが近づき、守るべきものがなくなろうとすると、パニックが起こり「不快さん」そのものになるでしょう。そして、その戦いも終われば蝉の抜け殻となり、「無感動さん」にならざるを得ないでしょう。
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