• ふとした優しさ (優しい雰囲気を味わってみよう)

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  • ふとした優しさについての随想録
  •  ふとした優しさは、傷ついた自分、自信を失った自分、自己肯定感がなくなった自分を救ってくれるものです。
  •  優しさは、どこにでもありますが、殆どは自分のための優しさです。自分のための優しさを見ると、自己嫌悪にかられて、すべてを捨ててしまいたくなります。しかし、その中に、砂金のように、ふとした優しさが含まれています。砂金を集め続ければ大きい塊になります。確信と実感を持てるようになります。
  •  ふとした優しさは、本当に不思議な優しさです。自分を超えています。自分のことしか考えられない自分の中から出てきたとは思えません。自分には出来過ぎの優しさです。しかし確かに自分の中にあります。その優しさが好きです。その自分を生きていきたいと思います。その時、本当の自分を生きていると感じます。


  •  ふとした優しさを捕まえる方法は、かわいそうだと思った最初の1秒間、何とかしてあげたいと思った最初の1秒間、笑顔を見て良かったなと思った最初の1秒間を捕まえて下さい。その後は、「現実は変えない」という鉄則に従って、今までと同じようにしてください。
  •   私達は普段、自分のことばかり考えています。そして、お互いを追い込み苦しんでいます。しかし、大きな生命の世界は、かぎりなく優しいです。そして、私達の中にも、優しいのが好きな自分がいます。ふとしさ優しさの自分と呼んでいます。自分には出来過ぎの自分、自分を超えた自分、不思議な自分です。
  •  ふとしさ優しさの自分。その自分が好きで、その自分を生きたいと思えたら、嬉しいことです。その自分なら、自分を目一杯生きて、周りの人を幸せにできるからです。大きな生命の世界の中で医学的、科学的に自分の存在価値を実感できたら、不安や不満になることも、傷つくこともありません。その自分を生きられます。
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  •  「優しさでは生きていけませんよ。強くならないといけません!」という人は多いです。そのような言葉に決して負けないで下さい。

      強くなるとは、戦って勝つことです。K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)です。Kで本当に強く生きていけるでしょうか。Kは必ず、Kの不安を伴います。常に勝ち続けることは不可能だからです。自滅のシナリオです。 なぜ、自分も人も不幸にすることを勧めるのでしょうか。

     第一に、親が子供を心配して言う場合があります。競争社会で生きていくためには、強く生きなければと思って言います。しかし、新型ストレスで苦しむ子供には、逆効果になり追い詰めることになることを知らなければならない時代です。 第二には、Kの人です。Kは、人よりも常に優位に立っていなければなりません。優しさだけでは駄目だよというのは、親切のように見えても、人を否定して、優越感を得る方法になっています。 第三に、確かに優しさだけでは、競争社会で生きていけません。それは確かです。

     しかし、優しさと、生かされてる医学的事実があれば大丈夫です。 優しさが好きな人であれば、自分のための優しさもありますが、見返りを期待しないふとした優しさも持っています。 人間は、大きな生命の世界の中で、医学的に生かされて、衣食住と身の安全を得るために社会を営んでいる存在であり、人間の価値は生かされてる医学的事実から来ることを理解できれば、ふとした優しさを生きることが出来るようになります。自由自在の生き方、無尽蔵の生き方ができるようになります。

     「優しさでは生きていけないですよ。」というKの言葉に決して負けないで下さい。Kに未来はありません。優しさには、自分も大事な人も世界も幸せにできる素晴らしい、嬉しい未来が開けています。